25歳の普通の会社員が職人になるまでの道のり

いつも、お世話になっております。
柳瀬畳内装の3代目の柳瀬幸二(やながせ こうじ)と申します。当店は初代の祖父の代から畳店としてこの魚沼市で創業いたしまして70年を越えました。先々代・先代から基盤を受け継ぎ今日に至っています。簡単ではありますがわたくしの今までの畳・内装職人としての経緯をご紹介させて頂きます。

25歳の時に先代から「跡継ぎとして修業に行ってこい!」と言われました。

私は、元々次男ということもありまして、家業を継ぐ立場ではなかったので大学を卒業後食品関係の会社員として製造や営業として働いていましたが、ある日先代から「俺もそろそろ年だから、畳屋で修行して店を継いでくれないか?」と言われました。当時は大学まで出してもい、就職してから3年しかたっていませんでしたので「少し考えさせてくれないか」ということで1週間ほど時間を貰いまして先代に畳店を継ぎますとの旨を伝えました。私も中学生の頃から高校生まで畳の配達など出来る範囲で手伝っていましたので、多少は畳の知識などがありましたので不安はありませんでしたが修行となると修行先など色々手配などもしなくてはなりませんでしたので良く分からなかった当時は大変だった事を覚えています。

坊主になってもらうよ!

そこで、先代の伝手で埼玉の畳屋さんを何件か紹介されましたが、その都度「今は個人の畳屋で修行する時代ではないよ」と言われました。そこで埼玉の浦和市にある畳訓練校があるよと教えられました。そこは3年間の訓練期間で全寮制の訓練校でした。早速その畳訓練校へ行ってそこの校長先生に入校の条件等を聞いてきました。その当時この校長先生とご縁が出来るなんて思いもしませんでした。訓練校ですので受験のような試験はなく書類や入学金くらいの話に加えまして校長先生から「頭は丸めてもらうのが入校の条件だよ」と優しい笑顔で言われました。あの頃はこの笑顔の裏に厳しい訓練が待っているとは露ほども感じていませんでした^^;

少年院のような作業服と新たな生活が始まりました。

25歳になって、他の少年達と同様に丸坊主となり多少ですが緊張した入学式だったことを思い出します。新入生はほとんどが高校卒業した男の子でそこに中卒の子が2人いました。入学当初は30人ほどいたと思います。その後、連休や夏休みなどの長期の休暇のごとに、徐々に訓練校に戻ってこない子がいましたね。部屋数は3部屋ほどあって、二段ベットが部屋の左右に二列ほど置かれていました。私たちは3班に分けられそれぞれ監督役の先輩が振り分けられて次の日から経験したこのもないような生活と厳しい訓練が始まりました。

年齢は関係ない厳しい上下関係のなかで訓練が始まりました。

この埼玉の畳訓練校は歴史も古く多くの先輩達が家業を継ぐ為にここで厳しい訓練をして畳技能士になっていった訓練校ですので気風もそれなりにピッしっとしたものがありました。そんな中いよいよ畳製作に必要な訓練が始まりました。一帖の畳を手で縫って仕上げるためには、様々な技術が求められますそのために、畳表と畳の縁を使って数多くの種類の畳小物を数限りなく毎日作りました。はじめは、作り方が覚えられずに苦労して、夢にまでも出てくる様な感じでした(笑い)本当に色んな種類の畳小物を作りました。

畳小物イメージ

(畳小物イメージ)

畳小物

私は当時25歳でしたが同期のほとんどが18歳の少年たちでしたが今でも全国から来て厳しい訓練に耐えた彼らとは今でも仲間としていい関係を築いています。今となってはいい思い出になっています。一年生として入校してから約半年ほどは髪の毛は五分刈りでした。その後色んな事業所に数週間ごとに配属され先輩の仕事の補助などをしながら実際の職人の場での訓練をさせて頂きました。その間までに数名の仲間が消えていきました(残念でした)この時期は、畳製作に必要な訓練は勿論ですがそれだけではなく、礼儀作法に関してもこの時期には特に徹底的に教えられました。それは畳小物の製作の過程が終わってから各事業所に配属された後に先輩や親方に失礼が無いようにという意味合いや人としてあり方を学ばせる意味もあったと思います。今はあるかどうか分かりませんが一年の最後の方でしたが有名な禅寺に2泊か3泊くらいの日程で過ごしたこともありましたがこれも強烈でした。朝のお勤めが朝3時くらいから始まります。私は1年生の時と2年生の時と2回経験させていただきました^^;一年生の時はお世話になる前日に全員でカミソリで頭を剃りあってお寺に入りました。それが坊主になる最後の儀式でこれを最後にある程度は頭の毛に関しては普通でOKとなります。

一年が過ぎ、今度は私が一年生を教える立場になりました。

2年目からは、私が一年生だった時に新入生を教える立場の役割を貰い一年間は私が教わった事を当時の一年生に教える1年になりました。この一年では人に教える事の難しさを痛感する一年でした。この一年では校長先生と濃密なお付き合いをさせて頂きました。この方は大変な時代に苦労され大きい畳店を創業し訓練校も一代で築き上げた方で厳しい指導の中にとても愛情を感じさせる魅力のある先生でした。(現在はお亡くなりになりましたがとても尊敬する恩師であり感謝しています。)

3年最後の年で痛恨のアクシデントを味わいました。

2年生も終わり3年時には、別の事業所に配属になりました。この時、訓練校の畳店を校長先生に勧められましたが別の事業所を志願させて頂きましてそこで一年間を過ごしました。一般の畳屋でしたので毎日畳の製作をそこでやっていましたが、頑張りすぎが原因で両手首が腱鞘炎になってしまいそこでの仕事が出来なくなってしまい治療のため埼玉を離れ故郷に帰えらなくてはならず3か月仕事がでず治療しなくてはなりませんでした。3か月休校するということは、訓練校の卒業自体もかなりヤバいくらいの治療期間でしたが出来るだけ早く戻りたかったので焦る気持ちを抑えて治療に専念し、戻った後は遅れた分を頑張って取り戻しました。今でもそうですが仕事が忙しくなるほど頑張りますので仕方がないですが、あの頃は若かったので無茶をしてしまったなと反省しています。

28歳で畳訓練校卒業と2級畳技能検定の合格そして新しい出会いと影響を受けた言葉。

いよいよ、畳の訓練校の卒業が近くなってくるといよいよ2級畳技能士検定がありまして、日頃の訓練の成果もありまして合格することが出来ました。その後私の兄が実家で畳の手伝いをしていた事もあり、以前から畳以外にも職能を身に着けておきたいと思っていましたので、これ幸いに沢山の事業所の中で内装工事も手掛けている事業所の親方で特に訓練校時代に目を掛けて頂いた方にクロス工事やその他内装工事の修行をさせてもらえないかお願いして2年間の住み込みで各種内装工事の修行をさせて頂きました。その時にその親方から「これからは言い方は悪いかもしれないが商人としての感覚を持った職人にならなければいけないよ。」と言われたことがその後の私の人生に影響を与えました。訓練校と同様にここでも親方に恵まれまして一通りの内装工事の技能を教わりその後、埼玉でアパートを借りて5年くらい内装工事の職人として色んな職人さんと仕事をさせて頂きながら内装工事の技能を高めさせて頂きました。そんな中いよいよ畳技能士としては最高位の1級畳技能士検定の案内が来ました。

33歳で勝ち取った1級畳技能士検定の合格証

2級畳技能士検定は、一枚の畳を規定時間内(2時間)に作りそれぞれ寸法の違う木の枠を選んでその枠のサイズにきちんと納める実技試験と筆記試験で構成されていますが、1級畳技能士検定では2級とは違う作り方で1枚の畳を同じように仕上げ、また、床畳と言って床の間に納める畳をもう一つ作ります。これを5時間以内に作り上げる実技試験と筆記試験とがあります。2級畳技能士検定とは、比べられないくらい結構大変な検定試験でした。普段は職業として内装工事の仕事をしながら夜に実技検定の練習をしていました。試験の当日には、畳の訓練校を卒業した同期たちが5年ぶりに全国から集まりましたので、やや興奮気味な感じで試験に向かって頑張りました。私がこうやって畳職人と内装職人の二足の草鞋でやってこられたのは同期の仲間がいてくれた御蔭だと思っています。もし、個人的に検定試験を受けようとしたら1級畳技能士検定の合格はもっと時間が掛かったのではないかと思っています。それくらいこの時に絶対取らなくてはと思っていました。年齢は離れていても気持ちは彼らと同じです。合格後は仲間たちと喜び合いました。1級畳技能士検定では、すべての仲間たちが臨んだわけではなくて訓練生時代から腕も良った同期の中でも色んな事情などで畳職人から離れた仲間もいたりして残念なこともありましたが、これで25歳から始まった畳修行で取るべき資格をすべて取ることが出来ました。この時私は33歳になっていました。

一級技能士と職業指導員の免許を持っている畳店

一級畳技能士検定合格・職業指導員免許

いよいよ新潟県魚沼市で本格的に畳と内装工事の仕事がスタートしました。

長い県外生活を経て、ようやく地元に帰って来ました。私が帰ってきた年はあの三条や中之島の大雨災害と中越大震災の年でしたので地元の仕事よりもそちらの仕事の応援に行かなければならない状態でした。毎朝5時には車で1時間半かけて三条市の被災地へ向かって内装工事や畳工事で数か月間通っていました。そのお陰もありまして、色んな職人さんと知り合いになりさらに色んな技能を覚えさせていただきました。ここまで来れたのは、あの訓練校の厳しい訓練と「色んな方との出会いがあったことです。本当に沢山の親方や同期の仲間に助けて貰ってここまでこれたな~と実感しています。本当にここまで来る中で私と縁のあった方々一人一人に心から感謝をこの場を借りて伝えたいと思います。25歳まで普通の会社員だった私でしたがこの年から普通では経験できないようなユニークな体験をさせて頂きました。本当に色んな方々にお世話になりました。感謝 感謝です!!そして、現在私と共に仕事を頑張ってくれる両親に感謝しております。これからも気持ちよく働いて頂きたいと思います。以上ですがここまで長々、お読みいただきまして有難うございます。是非、お読みいただきましたお客様で私に興味を持っていただきました方々のお役に立てる日を心から楽しみにして、日々頑張って参りますのでその節は、お気軽にお声を掛けてください。これからも精一杯職人として励んでいきたいと思っています。ここまでお付き合いいただきまして有難うございました。

ただの会社員だった私が職人となることで手掛ける工事は以下の通りです。

無料で包丁やハサミの研ぎサービス実施中!!

当店で各種工事をして頂いたお客様にもれなく奥様がお使いの包丁やハサミの無料研ぎサービスを実施しています。 好評につき今年も引き続きこのサービスを承っております。通常なら包丁1本500円ですが当店で畳・障子・襖の張り替えや内装工事をご利用して頂きましたお客様は包丁1本500円が⇒0円で切れる包丁に仕上げてお返しいたします。この機会を是非ご利用ください。
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